『来世は他人がいい』は、関西最大の暴力団の孫娘である染井吉乃と、関東の暴力団の跡取り息子である深山霧島の婚約から始まる物語です。この作品は2017年から『アフタヌーン』誌で連載され、累計90万部を突破する大ヒット作品となりました。
物語の中心となる吉乃は、極道の家に生まれながらも常識人として育てられた女性です。しかし、いざという時には極道の娘らしい一面を見せる、魅力的なキャラクターとして描かれています。
『二人は底辺』は、本編の約3年前を描いた前日譚です。13歳の吉乃と15歳の翔真が出会う、重要な物語が描かれています。
ある晩、吉乃の祖父である蓮二が、暴れる翔真を家に連れてきます。翔真は当初、蓮二を自分の父親の覚醒剤売買の元締めだと勘違いして襲撃したのでした。
この時の翔真は、8歳で母親を亡くし、3回も育て手が変わるという複雑な環境で育ってきました。最後に引き取った父親も、親戚からお金がもらえるという理由だけで引き取ったという、悲しい境遇の持ち主でした。
本編では吉乃の良き理解者として登場する翔真ですが、『二人は底辺』では彼が吉乃に出会い、生きる意味を見出していく過程が丁寧に描かれています。
布袋竹人という染井組の構成員は、「この世界は底辺の人間が行き着く最後の場所みたいなもんや」と語ります。そして「底辺が底辺を受け入れんくてどうすんねん」という言葉で、翔真を受け入れる意味を吉乃に伝えるのです。
『二人は底辺』は、実は小西明日翔先生の商業デビュー作品です。興味深いことに、『来世は他人がいい』の構想が先にあり、読み切りの依頼を受けた際に、吉乃と翔真を主人公にした物語として描かれました。
本編の『来世は他人がいい』を読んでから『二人は底辺』を読むことで、より深い感動を得られる作品構成となっています。特に翔真のファンにとっては、彼の過去や吉乃との関係性の原点を知ることができる、貴重な一編となっているのです。
極道の世界を舞台にしながらも、本作品は単なる暴力的な描写に終始せず、人間関係の機微を丁寧に描いています。特に、吉乃と翔真の関係性は、本編では描かれない深い絆で結ばれています。
布袋竹人が語る「この世界は底辺の人間が行き着く最後の場所みたいなもんや」という言葉は、作品全体を貫くテーマを象徴的に表現しています。
最初は「怖い」という印象しかなかった翔真に対して、吉乃は次第に理解を深めていきます。特に、翔真のクズな父親との一件を通じて、二人の関係は大きく変化します。吉乃の胃袋をつかんだことも、関係性を深める重要な要素となりました。
興味深いことに、『来世は他人がいい』の構想は『二人は底辺』よりも先にありました。小西明日翔先生は、読み切りの依頼を受けた際に、吉乃と翔真を主人公にした物語として『二人は底辺』を描くことを選択しました。
この時点で既に、吉乃のキャラクター性や作品の世界観が完璧に練り上げられていたことは特筆すべき点です。特に、普段は常識的な吉乃が急に豹変して啖呵を切るというキャラクターの特徴は、この時点で確立されていました。
2024年10月からアニメが放送開始され、新たな注目を集めています。原作の緻密な人間関係や世界観が、アニメでどのように表現されるのかにも期待が集まっています。
本編では、吉乃を巡って翔真と霧島が対立する構図が描かれています。しかし、吉乃の危機には互いに連絡を取り合うなど、信用はしていなくとも信頼関係は存在しているという複雑な関係性が描かれています。
この作品は、極道という特殊な環境を舞台にしながらも、人間関係の機微や成長を丁寧に描いた青春物語として、多くの読者の心を掴んでいます。